「神からのメシア」  03−07−06
             ルカ9:18〜20
 主イエスをキリスト(メシア、救い主)としてではなく、偉大な
人物の一人として考える人は、聖書の時代にも現在にもいます。
主イエスを偉人、革命家、人を慰めるよい話をしてくれた人、愛に
よって生きることを教えてくれた人と見ているのです。
 しかし、主イエスのことを見聞きしていながら、その主が命をかけて 
与えてくださった罪と死からの救いを知らず、主によって実現した神と
自分との徹底的な関係回復を知らず、自分は神に受け入れられて
いると信じて生きられないのは、とても残念なことです。

 その時、ペトロは主イエスのことを「神からのメシア」と言うことが
できました。主イエスを「救い主」と告白したのです。このペトロの
言葉は、聖書の頂点だといわれます。聖書はこの告白をするための
ものだからです。
 この告白は、当たり前のことではありません。どんなに主イエスの
ことをよく見、聖書の研究をしている人であっても、この告白をでき
ないで、救いの喜びに生きられないでいる人は多いのです。
主イエスを救い主と告白できるのは、知識や経験だけによるのでは
ありません。
 マタイ福音書には、主のことをメシアですと告白したペトロに主が
言われました。「あなたは幸いだ。あなたにこのことを現したのは、
人間ではなく、わたしの天の父なのだ。」主イエスをメシアだと告白
できたからといって、誰も自分のことを誇ることはできないのです。
ただ、主がその告白へ導いてくださったことを感謝すべきなのです。
 このペトロの告白は、主と共にいた時の出来事でした。

 主と共にいる時に、私たちは神によってメシアをはっきりと
知る者としていただけます。
 救い主がいてくださることを知っているゆえに、たとえ弱っても、
倒れそうになっても、また死を迎える時にも、
神が自分と離れる
ことなく、深い関係の中に置かれ続けていることを信じて喜び
生きる者としていただくのです。